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384:ネット社会の悪平等

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      【写真に意味はありませぬ】




人って3人いれば派閥が出来てしまうモノ。
それはある程度仕方がない。

ただその場がソーシャルネットになってくると、チャットでの話し合いでとことん揉めて決裂っていうパターンを良く見かける。

前々からそう思ってはいたんだけど、これはソーシャルネットというかネット特有の空気感で

オンラインチャットを絡めると、言いにくいことや
本来なら飲み込むであろう言葉も、文字として発信出来ちゃう

さらに会話であって会話ではないので(文章だから)、書いた本人の意志とは違ったテンションやトーンで相手が取ってしまう事があるからだと思う。(これは本当によくある)

そしてそれがさも本人の口から本心として発せられた言葉だと、勘違いしてヒートアップしてしまうってのも大いにあるんじゃないかと私は思う。

面と向かって話し合えば、そうはならない事だってあるはずなのに。。。


今日はこんなお話です。スゲー長文になる予感なので注意!


***


私が初めて触れたソーシャルネットはmixiというサービスで。

私がmixiを始めたころは、ユーザーが増え始めるちょっと前の時代で
早い段階で始めていた人たちが、ある程度のテンプレを作ってくれている後だったので
とてもスムーズにスタート出来たなぁっていう印象が今でもある。

そこで自分の書き込みや、コメントに興味を持ってくれる人たちが出てきてくれる楽しさを知ったのだった。

これこそがSNSの醍醐味であり、結局のところ難しさでもあるんだろうなーって感じる。


ちなみにmixiの凄さ、というかココが凄い!!って今でも思っているのが
当時の足跡システムと、コミュニティというグループ。

まっとうな人が沢山いれば、足跡は嬉しいしそこからの来訪も大歓迎!
またその人の人となりが分かる、コミュニティって存在は素晴らしいと、本当に凄いと思った。

だからこその足跡が良い意味で生き(自分のページを訪れた人が分かるシステム)

足跡返しから、新しい人やグループとのコミュニケーションが始まったのだ。

Mixiにどっぷりってな、人が出てくるのも頷けた。



私も当時ハマっていたオンラインゲームの匿名性と、ミクシーのハンドルネーム性
が絶妙にマッチし

そこでのやりとりが、とても面白かったのを覚えている。

実際にそこからリアルに繋がったりもしたし、今現在お付き合いのある人も沢山いる。



でも、人が多くなれば不心得者も増える。
そこにビジネスを絡めると考える人も出てくれば、騙してやろうってな輩も登場する。

これはしょうがないかもしれない。

ソーシャルネットの様なモノが、成熟してくると当然の様に起きてきちゃうのが残念でならない。


そもそもmixiも最初は、登録はハンドルネームでこそあるが、招待制度を強く打ち出しており

18歳未満はお断り!という、身元のしっかりした人を対象に始めたサービスだったはずだ

だから、みんな安心して足跡を返したり、そこにコメントを残したり
そこで意気投合すれば、リアルに繋がったりしていったんだと思う。


そんなmixi、その不心得な輩対策、そしてライバルになる他のソーシャルネットに対抗するが為なのか?

他のユーザーの皆さんがおっしゃる様に
どんどん方向性を見失い、結果的に利用しやすい安心だという当初のコンセプトから、乖離しまくってしまった。

そんなのもあって自分のSNSの活動の場を、当時新星だったフェイスブックに移したってのがある。



さぁフェイスブックはどうだろう?



Mixiよりも、リアルな繋がりを重視しているので
酷くおかしな横繋がりにはなりにくく、グループとして広がりやすい。

実際に存在している(本来なら当たり前だが。。。)人同士の繋がりだから
リアルな世界とリンクしているで、現実の世界とも絡めやすい。

だからなのだろう
グループの交流も多く盛んになり、ビジネスにも遊びにも場が増えてくる。
そこで出会える人達とのリアルなやりとりが本当に面白い。


だけど、リアルな関係なだけに
その中でも関係が悪化すると、mixiよりも数段やっかいだ。


やっかいさには色んな部分があるとは思うけど、
リアルで繋がっている間柄なのに、やりとりがオンライン(チャット)ってトコなんだと私は思ってる


過去にも書いたことがあるけど、ネットの世界って変な平等感があると思っていて

何て言うんだろう、リアルな立場は違えどその世界では平等。


フェイスブック内では、もちろん皆のプロフィールは開示されているケースが大半だけど
そこでのやりとりは、オンラインのそれで

一応のリアルの立場や年齢も慮るけど、やっぱり結局ネットの中のコミュニケーションに寄ってしまうことが多いと思う。

そうなってくると、なんて言うのかな【ネットいじめ】みたいなモノが発生しやすくなってしまう。


例えば何でもいい、現実の世界のグループがあって
そうだね、合唱団の様な大人数の団体とかにしようか。

その中に自分より20歳年上の人が同じグループにいたとして、仮にその人とウマが合わなくても
大人同士だからね、それなりに上手くやって行くのが一般的社会人だと私は思う。


例えその20歳年上の人が、あまりにもヒドイ人物だったとしても

やはり年嵩の人を、ある程度たてるのは社会人として常識なはず。(年上だからエライいう話じゃないよ)

その人を立てつつも、直接注意出来る人がいれば注意したり、
また当事者同士で、話し合ったりするのが社会と言うものだろう。


だけどこれにネットが絡んでくると、その人を除いたグループチャットとかで
簡単にその人をハブってしまうことが出来てしまう。

本来なら話し合える関係のはずなのに、本当に中学生のイジメの様な事が起きてしまう。

解決しようと思っても、その場をネットに設けると
また変な平等感が発生して、なかなか一つに纏まるのは難しい。


↑にも書いたけど、学級会みたいのがあって、
当事者同士が話し合えるのが一番だと思うけど

仮に本人同士が和解したとしても、それを取り巻く人間たちへの報告が、またネット上だったりすると

そこにまた変な平等感やおかしな正義感が発生して、「イヤ俺はその意見おかしいと思う」みたいな

本来リアルの関係なら、絶対にその意見を言わない人の発言とかで
終わらせられるものも、着地できなかったりする。

これが起こってしまうと、余計に悪化させてしまう。


勿論、立場の違いで意見を封じるのがイイとは言わないけど
ある程度、そういうモノに巻かれる方が収まるっていう考え方もあるってこと。


なーんか、そういうパターンってとっても多い



また最近
なんだか『フェイスブックが面倒くさくってさー』、ってそんな声を聞いたりする。

フィードの上から順番に「イイネ」をひたすら押している、ってそんな話を聞いたりする。

じゃあなんで続けてるんだろう??って思ったりもするけど
それはある程度出来てしまった、ネット内の人間関係を維持したいからなんだろうか?

確かに上も下もない、そんな関係って心地いい。
イヤになったらログオフすれば良いんだから。

でも完全に切ってはしまいたくない、ログオフできない。
結局面倒さを感じながらも、そのまま続けている。

それをネットの中だけで済ませていれば、なーんの問題もないけど
リアルの関係をネットに持ち込むと、問題がこじれて長引くケースが多いなぁって、最近特に感じる。


ネット世界の悪平等ってのは、無くならんよなー




じゃあ自分はどうかっていうと

自分もやっぱり、ネットの中に自分を置いていたりするワケで。

多少の面倒くささは感じてるけど、そこでの付き合いや便利さを捨てきることは出来ないし、そこから脱却することは今のところ考えていない。


自分なりに上手に付き合っていかないとなー、って思ってる。


今日はこんなお話でした。

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プロフィール

仲野 蓮

Author:仲野 蓮
千代田線赤坂駅徒歩0分の美容室ティアマットTiamat)の社長であり、トップスタイリストでもある蓮(ハスではない、レンと読む)は、「ちょっとした」文でさえとっても長いのが特徴です。プロフィールはこちら

コラム:ティアマット社長 蓮が美容業界を語る こちらもよろしくお願いします。


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